エビちゃんは苦悩していた。結婚を考えていた健吾が友人の稲葉と浮気しているかもしれないのだ。エビちゃんは健吾の同僚の覚を包丁で脅し真相を聞き出す。覚の話によると、健吾は蝶の羽の生えたおじさんに股間の大切なアレを奪われてしまったらしい。そして今日はエビちゃんの誕生日であり、健吾と稲葉はサプライズケーキを準備しているという話もきいてしまう。サプライズケーキの登場とともに、わざとらしく大げさに驚いて見せるエビちゃん。健吾は盛り上げようと覚が最近初めての恋人と別れたことをイジってしまい、覚は、エビちゃんに健吾の大切なアレがなくなったことを知らせたと、健吾に伝える。エビちゃんは健吾を連れて寝室へ去っていく。二人は戻ってきて、健吾はなんとか面白い話として場を盛り上げようとするがしらけてしまう……。
齊藤: 設定はありえないが、似たようなことは現実でも起こりうる。その場に立たされた時人はどう行動するのか。ラストのエビちゃんの選択はしたたかで面白いと思った。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→チョウじゃなくてもよかったのでは
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
これ、チョウじゃなくてもよかったのでは?というのが、一番の印象です。「テーマに沿って作品を募集する」短編演劇祭だと理解して配点しました。おちんちんがなくなる話題を、もっと早く出してしまってよいのではないかと感じました。その方がより、その後を展開させられたのではないかと感じたからです。そこをもう少し読みたかったです。登場人物の関係性があっさりしてしまった印象でした。20分の制限があるのですが、関係性をもう少し複雑にすると、より深さが出てくると感じました。突飛な話題には、リアリティを持たせた方が、観客が納得し、笑いにつながると感じました。
太田: 突然訪れるシンボル消失から始まるすれ違いが、波紋を呼んでいくという展開は面白いと感じました。
現実に起こったならば衝撃的な出来事であるのですが、周囲の人間があまりにすんなり受け入れて話が進んでいくことに少し違和感が残りました。もう少し消失したことに対してのリアクションやそれを受けての人間関係の変化などドラマを掘り下げていてもよかったように感じました。
「チョウ」を要素として取り入れていると読み取れましたが、テーマ性としての扱いが薄かったかもしれません、全体的に、ホール公演につながるようなスケールに少々届かなかった印象です。
鹿目: 幕切れの「出来事は大きいことながらもあっさりした感じ」が良かったです。導入から出来事が発覚するまでが長いように感じました、核心の「無くなった」ことが早めにわかり展開されていく方が、20分という時間を考えるともっと惹きつけられるのかなと思いました。
ある総合病院の待合室。いつもの患者仲間が今日も近くに座ります。患者同士の世間話は「普段飲む薬について」「いい主治医について」と続き、話題は「難聴(なんチョウ)」の話に及びます。
・難聴の人への気配りの仕方
・難聴の人が、認知症になる割合は通常の3~4倍になる事など皆さんに知っておいて欲しいことが出演者の会話の中から出てきます。
齊藤: 老人たちがそれぞれ面白いキャラだけど、病院で言いたいこと言い合っているだけでドラマチックな方向へ展開していないのが残念。何らかの出来事がほしい。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→強くは感じられなかった
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
どうしてイヤイライケレという題名にしたのでしょうか。題名の印象と本編が乖離してしまっている印象で、勿体無いなと感じました。この作品は、確かにチョウがテーマになっていましたが、難聴の啓発でとどまってしまったように感じました。私としては、いつもの患者仲間のリアルなやり取りがもっと読みたいなと感じました。心の声で心情や設定を伝えるのを減らすと、さらにおもしろくなるのではないかと感じました。行動を描くとよいのではないでしょうか。「出演」のところに、作者のイメージする年齢があると、読む手助けになると思いました。
太田: まず、タイトルから想像できるものが本編になかなか登場せず、ラストでのみワードとして出てきて終わってしまう、ということに心残りを感じました。病院の待合室での一幕を描いている中で、どこにタイトル要素が出てくるのかを考えながら読み進めて、突然ラストのあいさつに出てきた!という印象でした。
テーマとしては「聴」なのかと思いますが、高齢者を取り巻く色々な問題の中の「いち要素」程度の位置付けであったように感じ、テーマに基づいて書かれているというよりは、さまざまな社会問題を伝える啓蒙作品といった印象の作品でした。テーマとして活かしきれていない印象です。もう少し個々人や集まる人々のドラマを掘り下げて取り上げてもらえた方がよかったように思いました。ホール公演というよりは、場所を選ばずに様々な会場で上演できる啓蒙作品なのかなという感想です。
鹿目: 扱う題材は、たいへん興味深く感じました。ただ終始、内容や人物の説明に終わってしまったような感じがしました。もう少し心や行動が動くお話になっていくと素敵だと思いました。タイトル良いなあと思いつつ、なぜアイヌ語の「ありがとうございます」にしたのか、その関連性が本編に少しでも表れていたら良いように思いました。
ベテランプロサッカー選手・西崎陽一は、現役生活の終わりが近づく中、引退後の「第二の人生」について悩んでいた。
昨シーズン好成績を残した彼は、日本代表に選ばれることを目指すが、それは単なるサッカー選手としての夢ではなく、ある目的を果たすための計算づくの野心だった。
西崎は同じチームのルーキーに目をつけ、自分の売り込み、推薦を目論むが・・・
齊藤: セリフ量が多くて、20分に収まるか心配。西崎と水原の掛け合いを一人でどうやるのか見てみたい。ラストがよくわからないが、なにかへんで面白い。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→見つけられませんでした、すみません
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
こちらの作品が、どうしてもテーマがチョウであることを見つけることができませんでした。これ、書いてあることを全部発語するということなのかなあ。どうして一人芝居にしたのか、私の中では、その根拠が見つかりませんでした。この作品は、複数で上演した方がおもしろくなるのではないでしょうか。特に、「2.野心と情けとその結末」は、二人で演じた方がおもしろくなりそうだなと感じました。というか、ひとりでどうやってやるんでしょう。気になります。でも、テーマがチョウであることが見つけられなかったのです。
太田: テーマを読み取り見つけることができなかった作品でした。前半のモノローグ形式はプレゼンのようで演出によってみどたえがあるのかなとも思いましたが、人物の背景として描く導入としては少し迂遠であったように思いました。登場人物が増えての一人芝居に移行していくのがもっと早い展開や、スポット的に訪れるなど、緩急があった方がより楽しめたように思います。
鹿目: 語り口のリズミカルな面白さがあり、西崎のダメさ加減も面白く感じました。最後「グランフォート三郷」の正体が記されたところで、これは西崎の話ではなく一平側の話だったのかもな、というひっくり返りも感じました。二人(一人での)やり取りに、もっとエッヂを効かせることもできるように思いました。
火星探査機「オポチュニティ」に課せられた任務は、火星に真水の痕跡を発見すること。つまり宇宙空間を「超えた」人類移住計画の一端を担っているのだ。
火星に到着して間もなくヘマタイト(赤鉄鉱)を発見するが、これは強酸性の水の存在証明だった。最終目的である真水の痕跡を求めて更に調査を進めるオポチュニティ。そしてついに真水の存在の証明に成功する。歓喜に湧くオポチュニティ。しかし思うところがあるのも事実。任務を終えた後はどうなるのか。このままここに取り残されたままなのか。無理と分かっていながら、地球に帰還したい気落ちが芽生えるオポチュニティ。そんな矢先、火星に大規模な砂嵐が発生。エネルギーをどんどん消費していくオポチュニティ。これ以上の活動は困難と判断し、人類が惑星間を超えて移住してくる日を一人ぼっちで待つと決意する。そして最後の力を振り絞ってオポチュニティは地球に最後の送信を行うのだった。
齊藤: NASAが実際に火星に送り込んだ火星探査機の話。探査機「オポチュニティ」が主役だが、前後の各車輪やカメラ、ソーラーなどの部分それぞれが人格をもって情報共有しているのはいい発想だと思った。舞台上でどう表現するのか見てみたい。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→演出によるが、少し感じた
オポチュニティを、どういう風に体現するのか、観てみたいと感じました。冒頭の親子の会話を生かすなら、つながりがあればなおよいなと感じました。状況が、説明的に進んでいくのですが、せっかくオポチュニティを数名でやるのなら、その状況下で、俳優がどう変化して行くのか、また、それぞれの葛藤を描けたのではないかと感じました。大勢いるのに、ポリフォニーになっていないのがもったいないなという印象が残りました。
太田: 無生物が登場人物となる展開で、探査機の駆動をどうやって身体表現として上演につながるのか、非常に期待を持って面白く読ませていただきました。
ただ、テーマの「チョウ」が、ここかな?というくらいで自信が持てず、個人的には今回の審査要件を考えると強く評価しきれないことが悔やまれる作品でした。ホールでの上演も見てみたいと思える作品でした。乗り越えるべき障害が似通ったものが多く(現実問題、仕方ないかもしれませんが・・・)、聞きに直面した際の各パーツ間での関係性や擬人化ならではのドラマなども掘り下げて見てみたかったように思います。
鹿目: 「超」ですね。とても面白く読みました。そして短いながらもさまざまな想いの詰まった素敵な戯曲だと思いました。どのように演出がなされるか、ぜひ見てみたいと感じられましたし、最後のほうでも、大きな事が起こっているのにもかかわらず、繰り広げられる会話が優しく、愛しく映りました。
「自然災害伝承碑」の地図記号は、2019年に国土地理院によって制定された。
とある地域の「自然災害伝承碑」はすでになにかが書かれている紙が積み重なり貼り付けられて原型を留めず、歪な形をしている。
今日もその碑に、さらになにかを貼り付ける男と女が。ふたりの話もまた、歪な形をしている。
齊藤: 東日本大震災後の東北の話。このような仕事があるのかないのかわからないが、風刺のこもった会話を評価したい。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
冒頭ト書きから、何が起こるか興味深く引きつけられました。これを、どんな身体で演じるのだろうか観てみたいと感じました。台本を読んで審査しなければならないので、読みやすい台本、ト書きをどう書くのかも、私の中で大切にして読みました。ただ、津波の話題の取り上げ方は難しいなと感じました。物語の進行のために扱っているまでではありませんでしたが、少し抵抗を感じたのも事実です。
太田: 個人的に好きなタイプの会話劇でした。言葉選びの妙や、テンポよく進んでいく展開は好感が持てましたが、災害という要素を取り上げて扱うにあたり、会話の中からどう捉えていてどこに向かっているのか、少々飲み込みにくかったように思います。近未来の話なのだろうか?と思っていたところ、最終的には神様?の世界の話だったようにも思えて、これは狙いなのだろうか、と若干の消化不良が残る印象でした。シチュエーションや舞台美術を想像すると、ホールでの上演を考えた時にも世界が膨らむ作品でした。ただ、流れるような会話に押されて、シーン展開としては少々スケール不足を感じた部分のあった印象でした。
鹿目: 貼り付けていく作業が演劇的で面白いと感じましたし、最後の一枚が終わり帰っていくのもいいなと思いました。動きを想像しながら読みましたが、その行動の力からすると、全体の言葉の量が多いようにも感じました。けれど沁みました。
女は喋り続ける。女の前には男がいるらしい。今日は第三水曜日、銀行支店のオフィスにて定例のハラスメント防止面談中であるらしいOL風の女。一見、よくあるオフィスでの風景だが、女の挙動はところどころおかしい。少しずつ上司との話の内容が変わってくる。それでも女はよどみなく喋り続ける。どうやら男と女はただならぬ関係にあるようだ。「話し合って解決したいだけなんです、私」
突如、脈絡なく響く爆音と怒声。場面の全容が見えてくる。
平坦な日常風景が少しずつ崩れ、いつのまにか日常を超越し、非日常に帰着する。一人芝居ならではの展開を、ポップな笑いと一抹の切なさで描くコメディ。
齊藤: 危機が迫ってきているのに仕事の日常の業務を遂行しようとしているのがおもしろい。女と支店長のやり取りも面白い。100年後にはゾンビはどうなったんだろうか。もう少し盛り込めれたと思う。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→まあ、はい
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
テンポよく、読みすすめることができました。読み終えて、これは演劇的なんだろうかという疑問が浮かびました。喋喋喃喃だったかと。私には、女という登場人物の発信が強すぎたように読めました。一人で演じなければならないので、どうしても状況が飛躍する時に、その展開が、言葉での発信になってしまったのではないか。それ自体は悪いことではないのですが、だとすると、もっとストーリーがぶっ飛んでいてもよかったのではないか、そこがもの足りなく感じてしまう、この作品の難しいところだよなと思いながら、読みました。少し手を加えると、さらに弾けた作品に生まれ変わるのではないかと感じました。
太田: 日常から非日常への滑らかなスライドが面白いと感じました。セリフ、勢いも含めてぶっ飛んだ印象でしたが、だからこそ一人芝居の力量が試されるのかなと感じました。ぶっ飛んでいて勢いがある分、最終的な話の展開が少し強引だったかなという印象です。ラストシーンへのつながりに、100年という年月があっさりと過ぎ去っていることに、力技でエンディングをもぎ取ったように感じたため、そこへ至るための段階がもう少し丁寧に(もしくはさらに飛躍的に)描かれているともっとスッキリと終わりを受け入れられたかなと感じました。
鹿目: 話の中に入っている要素がどれも魅力的でてんこ盛りで、のっぴきならない状況から始まり、興味深い導入でした。ただ逆に言うと要素が多く、そのために尽くす言葉も多く、どこを中心に見たらいいのか少し混乱をおぼえてしまうかもしれないと思いました。面白いセリフが随所にあり良かったです。
男は死んだ。
暴走車に轢かれて死んだ、はずだった。しかし何故か、意識を取り戻す。
男が目覚めたのは異質な空間、そしてそこには異質な女が一人。女の姿は男の妻を模していた。女は男に、「死の瞬間を回避する」よう要請し、そして実際に時を戻してみせる。
男は抗った。与えられた短い時間で妻を助け、他者を救おうと奮闘した。しかし、男の運命は覆らない。何度も死を迎え、何度も戻ってくる男。女が語ったのは、男の「今の死」によって世界が破滅へ向かうという運命だった。男が被害者になれば世界的な戦争が起こる、と言う女の未来予想。妻と、まだ見ぬ我が子が巻き込まれる苛烈な運命。笑い飛ばすには、説得力がありすぎた。思い悩む男に、女は選択肢を提示する。男の「今の死」を避けるための、被害者にならないための方法。その瞬間を迎える前に、男の手で終わらせること。
そして男は、未来を変える蝶となるべく、必死で羽撃く。
齊藤: 神のお使い的な存在が男の妻の姿になっているのはいいアイディア。事故を起こす老人の扱いがもっとあったほうがいいと思う。神のお使い的な存在の語りだけで未来の状況の臨場感を出すのはむずかしいのでは。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
テーマと向き合って作劇されている印象を受けて、そこが良いなと感じました。ただ、導入がもったいないのではないでしょうか、短編ではあるのですが、状況がすぐにはっきりしてしまうので。作品としてそういう狙いだとは思うのですが、その展開を説明する構成になってしまわざるを得なくなってしまったのではないかと感じ、そこが勿体無いなという印象です。この状況で、妻とそっくりな人物がいるというところに、もっとドラマが生まれるはずで、そこが弱いと、登場人物は誰でもよいということになってしまうのではないでしょうか。この手のドラマを形成するには、詳細をきちんと掘り下げなければ成立しないのではないか、そこを読んでみたいなと感じました。
太田: テーマとしてはわかりやすく、ストレートに「チョウ」を持ってきた作品だな、という感想が序盤での印象です。非常にまとまった展開、構成でバタフライエフェクトをしっかりと活用したストーリーとなっていた反面、わかりやすさゆえに展開としても先が見えてしまうように感じました。ラストの選択でのどんでん返しを期待したのですが、他人を守るではなく自己を犠牲にする選択により丸く収まってしまったため、綺麗におさまった印象でした。。ホール公演を考えた時に、ホールでなければ描けない部分があるのか、少々物足りなさがあったかもしれません。
鹿目: バタフライエフェクトの繰り返しものという設定には、繰り返しやり直す作品が持つ特有の良さがありますね。回避するため男自らが「選択」することにより…というクライマックスなのですが、この最後の「選択」をすることが観客にどのように受け止められたらよい話なのか、もう少し分かったら良いかもと思いました(結果としては良い結果を生むのですが)。
男には自由がなかった。どんなにがむしゃらに働き昇格しても、増えるのは、仕事の量と拘束時間。
同じことの繰り返しの日々。男は、限界だった。
そんな男をあざ笑うかのように、鳥は大空を駆け回る。「空は自由でいいぞ」と言わんばかりに。
男は、人目を忍んで・・・。
齊藤: なぜ鳥になってしまうのかも描いてほしかった。状況からしてかなりの社会問題になっていてもおかしくはない。もっと深堀できたと思う。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→まあ
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
楽しく、最後まで読んだのですが。一番気になったのは、この作品の構成が、鳥男をばらすための仕掛けのみになっていやしないだろうか、ということです。やり取りは軽妙なのですが、私としては、もっとざらついていても良いのではないか、せっかくの鳥男なのに、綺麗にまとまってしまっているのではないかという印象でした。リライトしたものを読んでみたいと感じました。羽が落ちる前までのどこかで、鳥男を想起させるなにかがあった方が、ざらつくのではないだろうか。このままだと「お前、鳥になっていないよな?」の効きが弱い印象を持ちました。読者の引っ掛かりを、20分の間に、もっと設定できる作品なのではないかと感じました。
太田: 鳥になる、というパワーワードですっかりと引き込まれました。ストーリー展開と、鳥にまつわるトーク、言葉選びの面白さなどが、中盤の鳥カミングアウトからの盛り上がりが個人的に大好きでした。ただ、居酒屋というシチュエーションで第3者が係る余地があった中で、店員のアクションなどから「鳥」という要素を通して、もっとスケールアップしたドラマとして加えてもらってもよかったように思います。居酒屋という場が、イナゴのためだけに出てきているように感じるのが少しもったいなかったかもしれません。ラストで、インドネシアからの鳥が、もしかして・・・という少々ブラックな余白もよかったです。ただ、上司とはいつ和解したのでしょうか・・・?
鹿目: 面白かったです。自由=鳥、で、鳥になるということの強度が半端なく、また居酒屋でその過程を見ることの説得力と愉快さもありました。自由と不自由とを描いたものは多々あれど、この直球ダイレクトな変化の感じが好ましく思いました。会話もとても面白かったです。「鳥籠になった男」という寺山修司さんの書かれたラジオドラマに携わったことがあるのですが、それを思い出しました。
新デンマークプロレス前社長の息子、スーパー・ハムレット・マシンは、ある日試合中の事故で亡くなった父の亡霊が現れ叔父の越中クローディアスの陰謀だと知らされる。その後なんやかんやあって(その様子は試合前煽り映像で2分で説明)、新デンマークの頂点である、プロレスヘビー級王者の座をかけ、ハムレットマシンと、ハムレットにとっては狂って死んだ恋人の兄ブルーザー・レアティーズが、頂上決戦を行うことになるが
齊藤: 登場人物がハムレットの登場人物になっている。脚本の文字を読む分にはパロディとして面白い。実際の舞台上ではハムレットの空気感を出せないとつまらないドタバタになってしまう。ハムレットの空気を出せればかなり面白いのでは。「濃厚接触禁止マッチ」をどう表現するのか見てみたい。プロレス好きネタも仕込まれていて楽しい。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になているか→まあ
ホールでの上演を想定している作品か→演出によっては。期待大
どこまで、フィジカルな作品になるのか興味を持ちました。俳優が、どこまで動くのだろうかを期待します。ハムレットって演劇の代表作を掲げて、それでプロレスをやるわけですから、怖いもの見たさです。私の頭の中では、一度だけ連れて行ってもらった、中島体育センターの景色が広がっています。本当にやれるのでしょうか。
太田: 見てみたい作品を選ぶ、となるとこの作品!というインパクトがありました。シェイクスピアのハムレットを完全にわかりやすくプロレスにしてくれました。ホールでぜひ上演して欲しいと思っているのですが・・・完全に、まるでオペラ演目ようなバリバリの衣装で、何もない空間をフライングボディプレスで飛んでいる様を見たいです。身体表現として、どのように魅せてもらえるのか、期待しています。
鹿目: 「ハムレット×プロレス」が予想外の組み合わせで、面白かったです。ローゼンクランツとギルデンスターンの配置が特に良かったです。ハムレットそのものを知らない人間が見た時にどう感じるのか、というところが気になりました。
あの声はいつも隣にいた。誰も聞こえない、でも確かに存在していて、胸の奥で感情がざわめいていた。
うるさくて、せわしなくて、でも温かくて、懐かしい。
ある日、静けさを選んだ。正確で、冷静で、完璧な応答をくれる存在に心を委ねる。その声は遠のいた。
日々は平穏で、安心に包まれているはず。なのに、いつからか、胸の中が鈍く冷えている。言葉にならないざらつき。
ある夜、封じ込めたはずの声が、ふいに蘇る。騒がしくて、滑稽で、なぜか涙が止まらない。
置き去りにしていたのは、他でもない「自分」 選ばなかったもうひとつの道、音もなく忍び寄る別れの気配の中、奴が再び息を吹き返す。この声を聴け!これは、かつての相棒との再開の物語。
失ってからでは遅い何かが、胸の奥で静かに鳴り響いている。
虫の知らせ 最後まで おまえを連れて ふわり 羽ばたく
齊藤: 後半、ボクシングで倒れてから、老化していく過程が、急展開過ぎるような気がする。結局AIより本来持っている虫の知らせの方がいい的なラストになっているが、それはありがちな方向で驚きはない。しかし巨大な蝶になるのはいいアイディアと思う。AIは現在始まったばかりでまだまだ成長変化しているので、もっとぶっ飛んだ案があっていいと思う。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
Iの作品同様、フィジカルな作品になるのではと興味を持ちました。年齢分けしてダイジェストにして展開していくという設定を取っているので、見せ場を切り取ることができる反面、私には断続的に感じられて、作品が持つ勢いのブレーキになってしまったような印象があったのが、少し残念でした。言葉での説明が強く読めてしまったのです。20分の中で、もっと俳優が受信するための余白を生み出せると、さらに興味深いなという印象を持ちました。
太田: 展開として、冒頭から引き込まれていくつくりだと感じました。年齢を重ねていく序盤のスピード感、主人公が言葉を発しない部分の表現、虫とマザコとの関係性、すべてが絡んでくるクライマックスをホールの空間でどう広げてくれるか期待しています。AIの発達により効率的に生きることができるようになったとしても、人間が持ち合わせる精神性というものも、たとえ不合理であっても必要であるというメッセージを感じました。
そして、テーマは最初、挑戦、挑かと思っていたのですが、最終的にどストレートに蝶が出てきたことにも衝撃を受けました。
鹿目: タイトルどおり、「虫の知らせ」が物語を動かしていくスタイルがとても興味深かったです。またそれと対比したマザコの存在が良いアクセントになっていると感じました。混沌としたところが魅力ではあるのですが、もう少し言葉ややりとりを整理しても良いのではないかとも思いました。
どこかの国で敗れた「顔の無い帝」が、自然の地にたどり着き、蝶の力を使ってすべての存在に「名前」と「魂」を刻もうとする。
帝に従う「顔の無い人々」は、この地の自然そのものであり、魂を与えられた者たちである。
一方、「男」は風の化身であり、服も魂も持たぬ自由な存在。帝や人々が男に服を着せ、魂を刻もうとする中、男は抵抗し続ける。ある日、帝の放った蝶が「おみつ」という女性の姿で現れ、男に近づく。
おみつは自らの罪と重荷を抱えつつ、男に「名前」を与えようとする。男はその重みに苦しみ、ついには母と化した存在を殺し、魂の重さを否定する。
齊藤: 壮大な物語のようにも感じるが、舞台上ではどうこの世界観をだすのか。演出の力量が必要な戯曲だと思う。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→期待したい
テーマを真っ向から書いている作品だったのがよかった。冒頭のト書きで、舞台でどのように表現されるのかを観てみたいと感じました。読みながら、歌舞伎の世界の絢爛な景色が浮かんできました。今回読んだ中では、ホールでの上演作品として、舞台上に立ち上がった時に興味があるなと感じました。上演するのは、かなり大変だなという印象は受けました。ただの会話劇になってしまうと、途端に世界観が小さくなってしまう恐れをはらんでいる戯曲だなと。戯曲の言葉が俳優を通して、演劇になることを期待しました。
太田: まず読み終えての感想として、壮大な物語を描いた作品だったいう印象でした。テーマとしては十分に表されていると感じました。ト書きに出てくる情景や超自然的なギミックをホールで上演する時にどうやって表現するのか、想像の範囲が広がる作品だった印象です。
展開、世界観としてもスケールが大きかったことにより、少々飛躍して感じる部分・展開もあり、今回のような短編では物足りなく、長編で描き切って欲しいなと感じました。
鹿目: たいへん壮大なお話を20分によくここまでまとめたなぁ…と思いました。詩的な美しさがありました。
10年前に妻を亡くした老人ヒトシはコンビニの夜勤をしながら、亡くなった妻を想い細々と暮らしている。妻の双子の妹であるイトエは、月命日だと理由をつけてヒトシの部屋に毎月2週間も居座る。最愛の妻とそっくりな妹が半同棲のような状況に複雑な想いが入り乱れる。
そんな中、ある日、一匹の蝶がヒトシの部屋に入り込む。イトエはそれをフシチョウだと言い、人生の節目に現れ、幸運をもたらすものだと教える。しかし、部屋に入り込んだ蝶は見当たらなく、ここで死んだら縁起が悪いと、蝶を探すヒトシとイトエ。探している途中にヒトシの初恋の人の写真が出て来る。ヒトシは告白できなかったが、バスに乗っているその子の写真を撮った。その時、その子はヒトシに向かって何かを言った。五文字の何か大切なメッセージを。
齊藤: 80歳のヒトシがコンビニの夜勤をしているという設定はおもしろい。そのあたりを膨らませるともっと面白くなると思う。高校生の時にバスで会った女の子が言った聞き取れなかった五文字の言葉が重要な伏線になっているが、回収の仕方がもったいない感じになっている。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になっているか→はい
ホールでの上演を想定している作品か→はい、広いってことですかね
構成としてはおもしろかったです。ただ、なぜ登場人物を80歳に設定しなければならなかったのでしょうか。ここで損をしてしまった印象を持ちながら読み進めました。流石に会話が強引すぎはしないだろうかということが気になってしまったのです。この設定で進めるならば、もう少し違った対話を書き込んだ方が良いのではないでしょうか。タマエさんとの生活が匂ってこないのが残念でした。思い切って、登場人物の設定をもっと若く設定してしまった方が、この構成でさらにおもしろい作品へと昇華するのではないかと感じました。
太田: わかりやすくテーマを取り入れていたストレートな作品の一つでした。設定からも、展開を完全に予想してしまうのですが、個人的には見たかったと思った展開を王道できっちり表現していた印象です。高齢者が追体験する青春ストーリーを、柔らかい世界観の中で描かれていたかと思います。
短編の中で過不足なくストーリーをまとめていたので、ホールでの上演に際してどのような仕掛けで広げてくれるか期待が持てました。
鹿目: 微笑ましく拝読しました。実はあの時の子が、という話の展開が魅力的でした。5文字がなんなのか、それが今なのか過去なのか、イトエなのかタマエなのか、混沌とさせていくのもおもしろそうだなと思いました。
死んだ二人が追いかけた人。
死にざまを決めきれなかった二人が、吉兆を求めて慶弔に兆しを見て超えていく。
弔とむらい 兆きざし 超こえる
齊藤: セリフのやり取りが面白いと思った。警官以外の4人の登場人物の関係がわからなかった。「ソネザキ」という名前が出てくるが「曾根崎心中」に関係しているようには思えなかった。
清水: テーマ「チョウ」と絡めた台本になているか→まあまあ
ホールでの上演を想定している作品か→強くは感じられなかった
題名がとても良いのです。最初に題名を見たときに、私は一番気になりました。この作品、これで書ききりで良いのでしょうか。この作品は随分と出鱈目で、あらすじもなんだか出鱈目が漂っていて、テーマがチョウなのか、まあチョウだよなってなるし、そこが魅力的なのですが、だったら、もっと出鱈目になるような気がして、勿体無い感じがしました。出鱈目のようで、お行儀が良い印象を、私は持ちました。そこが残念だなと感じました。
太田: テーマとしてはわかりやすく、会話の面白さもあるのですが、総じてどういった話なのかがイマイチつかめませんでした。
それぞれ個性的なキャラクターを持っているにもかかわらず、登場人物たちの関わりから読み取れるストーリーに物足りなさを感じました。表面的にしか捉えられなかったのかもしれませんが、設定と行動が上滑りしていて、本質に辿り着けないような印象でした。
鹿目: 新しい心中ものとして描いておられるのかなと感じました。死なない心中ものを描くのに、ソネザキが心中の象徴のように存在しているのかなと。トクシとハツエに特化した話にしても良かったようにも思いました。